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自分は何をすべきなのだろうか… [◎日々感じるコト◎]

自分は、本当は何をすべきなのだろうか…
考えれば考えるほど、
わからなくなっている自分がいます。

何年同じことで悩んでいるんだろう、
成長しているのだろうかって…

お恥ずかしくも、
仕事でも、
プライベートでも、
デキる自分を証明するために、
頑張り続けていたんだということを、
改めて実感しています。

明確に求められていることだし、
何をすればよいのかも明確になりやすいから、なのでしょう…

でも、やはりその裏には、
できない自分を認めてたまるか!と、
認めてしまったら自分が維持存在できないのではないかという、
不安からの固定観念が備わっているのだと感じています。

そのために、日々アンテナを張り巡らし、
先読みし、空気を読み、
先手を打つため努力を重ねています。

恐怖や不安を打ち消すためのネガティブな原動力は、
また新たな恐怖や不安を生み出します。

希望や幸せは、
充分に与えられているのが、
法則なのです。

現代は、
約5000年の文化の発達が積み重ねられた上で、
多様な価値観を実践できる自由度の高い時代だと思います。
ただ、自由に生きる、
自由に生きられるかどうかは別問題で、
自身の問題として問われるもの…

過去、何世にもわたって、
おそらく繰り返し続けてきたことだからこそ、
気づく度に何度も浄化しても、
たったの数年では拭いきれず、
同じようなことが何度も発露してしまうのだろうと…

頭でわかっているのに、
いつまでも身につけられず、
抜け出せない自分に、
また苛立ち。

優越感を持ち、
自分は特別であると思うこと、
物質的な欲求を満たしたいと思うことが、
人として一つの性質を持ち合わせていると思います。

それも何千年と積み重ねた、
人の生き様が肉体と精神に刻まれているのだと思います。

現実は止まることなく流れているけど、
現状を認めない、
現状を受け入れられない。
こんな自分ではない、と。

認めてしまったら、
できる自分であるための努力を失うと、
何をすべきかわからなくなるのだと思います。

自分の羅針盤を失うことであり、
それは、現代でいうとスマホを失うようなものだと思います。

検索通りにはいかない、
新たな可能性や、根底にある興味、
自分の感性を信じること、
楽しくワクワクすることに進むのは、
世間の大枠から外れてしまい、
とても恐怖なこと。

どう進めば良いのだろう。
何を信じれば良いのだろう。
自分は何をすべきなのだろう。
明確にわかるために何をすれば良いのだろう。

考えれば考えるほどわからないことだらけで、
迷宮入りするばかり。

とにかく、改めて、
考えないより整理して考える、
やらないよりやってみる、
わからずに立ち止まるより、
日々楽しくワクワクする微細な感覚を確かめ、
思い切って手を止める勇気も持ちながら、
進んでみようと思う今日この頃です。

罪悪感 [◎日々感じるコト◎]

ご無沙汰しております。
新年も本格スタートしておりますが、
いかがお過ごしでしょうか?

昨年は、仕事もプライベートも、
大変な時期を過ごしていたと振り返っていました。

今まで、内なる自分といろいろ向き合って、
この場でも綴ってきましたが、
向き合えば向き合うほど、
現実は苦しくなっているように感じていました。

今までやってきたことの意味さえわからなくなりそうにも。。。
心が弱い自分に、嫌気を感じていました。

そのような中、
いつも躓くこと、
冷静に浄化して分析していくと、
根本的な原因は、
意識の底にある罪悪感だとわかってきました。

自己犠牲も、自己否定も、完璧主義も、エゴも、他人への厳しいジャッジも…

すべて根底には罪悪感が潜んでいるんだなって。

過去世、幼き日のトラウマ、繰り返す過ちと、
罪悪感があるからそれらを埋め合わせようと、
必死に本来の自分と違う自分を造りあげようとする。
必死に期待に応えようと…

一方で、罪悪感を持つことで、
必死に自分を守っている自分もいる。
罪があるからと無意識のうちに自己防衛して、
自分がやるべきこと、
目を向けるべきことから、
自分を認め、
自分に責任を持つことから、
逃れる理由を保っている。

当然、迷いも多くなっていたし、
今までの人生は、それに基づく事象を引き寄せていたということも、
理解できるようになってきました。

昨年、大切に思っていたことのほとんどを失いました。

残ったのは、
家族、数少ない親友と、
自分の家のみかもしれません。

すべては自分の内にある。
そして、紐解けるのは自分自身。
自分が発する波動で、
現実は決まる。

罪悪感の二面性が複雑に絡み合っていることに気がついたら、
長年の苦しみが涙とともに、
流れ始めたように感じています。

罪悪感の解放は、
明るい希望につながると信じて、
今年を歩んでいきたいと思います!

何を正しいとするのか [◎日々感じるコト◎]

世間体、社会通念上、慣習的、一般常識として、
正しいとされることは、
たくさんあります。

でも、
自分の心の中で正しいと思うことと、
必ずしも一致するとは限りません。

自分の心の「かがみ」を通して、
自分にとって正しいと感じていることを、
信じて貫く勇気。

その先に、きっと「心のままに」という真の自由があるのだと思います。


明日はきっと良くなる [◎日々感じるコト◎]

今日できなかったこと。

それは、今日できないってわかった(理解できた)こと。

解れば自然と笑顔に変わる。

笑顔は気持ちを楽にして、

新たな閃きを創ります。

きっと、明日は、今日より良くなる。

自分にしか解らなくても、

それで充分。それで良いよ…!

明日はきっと、良くなるからっ

損して徳とれ [◎日々感じるコト◎]

例え、理不尽なことがあったとしても…
「損して徳とれ」と、
ふと気づかせていただくことがありました。

怒りや憎しみからは、
創造は生まれません。

他人は他人、
自分は自分。
因果応報には逆らえず、
必ず結果が現れます。

どんなに理不尽なことがあっても、
心正しく素直であれば、
「徳」を積む機会となり、
実を結んで恵みに変わっていくのです。

かがみ [◎日々感じるコト◎]

自分の意識、心、身体を通して、

目の前に広がる現実は、

自分の「かがみ」であり、

悲しみや苦しみで壊れて崩れてしまったとしても、

わずかな隙間から、

常に新しい景色を映し出している。

希望はどこか遠くにあるのではなくて、

いつも自分とともに在るのだ。

いつも自分の輝きとともに在る [◎日々感じるコト◎]

どんなに、苦しい状況でも、

その人にしかない輝きは、

その人の中で育まれ、息づき、生き続けている。

今、ここ、この瞬間に、

絶えることなく、

刻み続けている。

そっと、自分という麓を見つめてみようよ。

希望の兆し [◎日々感じるコト◎]

すっかりご無沙汰してしまいました。
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか?

シーズンは、地殻、気候の変動が大きく、
それに伴い、全体の流れとして、
「変化」の大きさを感じていました。

特に、3月の新月辺りから、
ざわざわ感を強く感じはじめ、
春分の日がピークだったように思います。
明後日の満月でもうひと山あるかもしれません。

体調を崩しやすかったり、
気持ちの浮き沈みが大きかったりと、
もしかしたら皆さまの中にも、
大きな影響を受けている方がいたかもしれません。

という自分も、
そんな渦にどっぷりのみ込まれ、
昨年後半から、大きな根幹の課題を突きつけられる日々でした。

大変だと感じること、
辛く苦しく感じること、
それは変化のサインであり、希望の種なんだなって、
改めて感じています。

以前からお伝えしていますが、
過去からの因果と、
これから創る未来の答えは、
常に自分の心に在る。

過去、現在、未来において、
常に自分の心が喜ぶことは何であるのか。

そこだけにフォーカスすれば十分で、
とてもシンプルなことです。

でも、
心が喜ぶことが何かわかっているのに、
なぜか、その正反対のことばかり起こってしまう。

「こんなに頑張っているのに」
「これだけ努力して辛い想いしていることをわかってほしい」
と、意識の中で、
必死に思考と感情が訴え、
苦しみや悲しみ、
さらに深い部分でトラウマを盾として、
強力な自己防衛バリアを張ってしまっているのと同時に、
いつしか、苦しみや悲しみを、
「自分を認めてもらうための手段」
「いつか報われるであろう期待」として、
印籠にいたんですね。

それでは、
苦しみと悲しみの螺旋に居続けてしまいます。

そこに気づいて浄化しただけで、
流れが変わってきたように…

いつぶりなんだろう、
自分の鼓動の奥に、
希望の意欲が湧いてくるのが、
かすかに聴こえるように感じました。

とても嬉しかったです。

目の前の状況は、
いろんな人や物事が関わりあって成している集合体で、
変えようとするのは、至難の業です。

また、その状況から抜け出そうとすれば、
周囲の目があって、
重い責任を突きつけられるような焦燥感を覚えてしまいます。

でも、その重い責任を果たしたところで、
自分の人生の責任、
幸せの保証は、
他の誰も請け負ってくれません。

何が心喜ぶことなのか。

いいことがやってくると期待するための努力ではなく、
何をすることで希望を持ち、活力が溢れてくるのか。

常に自分の心と対話しながら、
春を迎えていきたい今日この頃です。

正反対から覗いてみる [◎日々感じるコト◎]

今、メンタルケアについて学んでいます。
とある特集を見て、
ビビッと、ググッと引き寄せられるものがあり、
時間も費用も厳しかったのですが、
思いきって受講に踏み切りました。
医学や心理学などの日本の第一人者、
権威ある先生方の講義を受けているのですが…
正直最初は、
お医者様って杓子定規でお堅い話ばかりだろうと思っていたのですが。。。
(お医者様がいらしたらゴメンなさいm(_ _)m)
やはり、その道一筋に何十年も研究して、
いろんな角度から検証して成果を残された方々、
とても太い軸を持っており、
深い学びにつながるものだと感じています。

スピリチュアリズムから仏道と、
精神世界の学びが多く、
どちらかというと感覚的、抽象的にわかっていれば充分と思っていましたが、
いわゆる学問は、日常現実からの事実を研究で積み上げて理論立てた科学であり、
双方から人の在り方を見ると、
とても納得がいくのです。
理解が深まり、
感覚的なものの説明がつくように思います。

嫌だ、必要ないと思っている側面。
二極性の正反対を知るということ。

気づかなかったことや、先に進めなかったことが、
すなわち、自分の中での課題の答えを見い出す架け橋になるんだと、
今回の受講の意味につながりました。
その上で、自分の中での中庸を育んでいけたらと思う今日この頃です。

命の系譜 [◎日々感じるコト◎]

シルバーウィーク
秋分の日も明日に控え、
今夏の天変地異が少し落ち着きの兆しを感じ、
何か大きな変化を遂げていく準備が整いつつあるように感じます…

やはりどんな状況であれ、
心は自由に中立に、
軸は自分にしっかり持つことが、
変化の中での道筋を創るベースになるように思います。

今はお彼岸のさなか、
ご先祖様と向き合うことはできましたでしょうか?

お彼岸の入りに、
両親とお墓参りをしてきました。

お掃除を終えて、
お題目を唱えるそのとき、
3人の頭上の晴れ渡る空に、大きな龍の姿、鳥の姿の雲が現れました。

そして、心の中に、
おそらく明治時代の頃の西洋文化に憧れる、
綺麗な姿の女性のイメージと想いが浮かび上がりました。
それが、ひいおばあちゃんに当たる方のように思えたのです。

お題目を唱え終えた後、
そのことを母親と話していると、
その日の朝、お仏壇のお位牌をお掃除していたとき、
ふとひいおばあちゃんのことを想っていたそうです。

きっと、感応したんでしょうね。
そして、自分たちと仏様の想いを、
龍神様が神様の元へお伝えくださるところだったのかな、
なんて思いました。

神仏が一体であるというのは、
そのようなことなのではないかと感じています。

単純ですが、
新しいコトへチャレンジしたく、
それが洋服に関することだったのが、
自分の中でよくわかった気がします。

生きる自分たちは、
ご先祖様たちが、
懸命に生き抜いて、成し得なかったことへ、
子孫たちならできるはずだと、
想いを託されているのだと思います。

私たちは、
それを心のどこかで感じていて、
だからこそ、目に見えない姿で見守ってくださるご先祖様への敬意を払い、
感謝を表すことから、
日本古来のご先祖供養が脈々と続いているのだと思います。

魂を宿す今在る肉体は、
ご先祖様があってこそ。

魂に磨きをかけるのは、
自分次第。

魂と肉体が一致してこそ、
生きている充実感を感じるのではないでしょうか。

これは、まだ自分の中で、
未完成のことなのですが、
おそらく、
魂の系譜は過去世、
肉体の系譜はご先祖様と、
今在る自分に大きな影響を与えいるのではないかと感じています。

このような機会をいただくと、
自分自身を省みて、
また成長の階段を登れるように高めていきたいと、
英気をいただきます。

その謎を探求することも、
自分の役割の一つなのかと、
うっすら感じて、
その役割に一歩でも近づきたいと想う今日この頃です。


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